<育児日記4月7日>

 今日は六道女学園初等部の入学式だった。六道女学園初等部指定の制服を着た蛍は、これから始まる学校に期待と不安を浮かべていたようだが、幼稚園からの友達もいるし、優しい蛍のことだ、きっとすぐに新しい友達も出来るし楽しい学校生活を送ってくれることだろう。
 それと蛍の入学をきっかけにして、俺も以前から六道理事長と話していた自分のブランド作りを始めたいと思っている。せっかくジークから教わった古代文字(ルーン)を使わない手はない。

 蛍の前にも俺の前にも、新しい道が開けていくだろう。


 

宝珠師横島 〜The Jewelry days〜  


第5話 『宝珠ください・蛍の入学式』


 

(横島忠夫)

「お、お願いします、宝珠をください!」

「・・・・はあ?」


 

 面食らう。

 チャイムが鳴ったので応対にでると、ドアを開けた瞬間にスーツをぴしっと着こなした見ず知らずの男がいきなりそう言って頭を下げてきたのだから当然だろう。

「え〜っと・・・どちら様ですか?」
「あ、こ、これはいきなりすいません」

 あわてて顔を上げる男。30歳くらいだろうか?

「わ、わたくしこういうものです」

 緊張しているのか、ふるえながら懐から名詞を取り出す。


『三橋生命 調査オペレーター 戸西 薫』


 

「保険は別に間に合ってますから」
「ち、ちがいます!」

 保険に入る予定はない。すぐさまドアを閉めようとしたが、男はそれを必死で止めようとする。

「だから別に保険屋に用はないって言ってるでしょ」
「違うんです!保険は全然関係ないんです!あ、閉めないでください〜!お願いします話だけでも、話だけでも!」

 このやりとりは、蛍と遊びに来ていたシロとタマモが見に来るまで、しばらく続いた。




 

「それで、いったいどういう事なんですか?」

 あのまま玄関先で揉めていても仕方がないと、しぶしぶ応接間に案内した。それにご近所に変な噂なんて立って欲しくない。

「実は・・・その、非常に言いにくいことなんですが、宝珠を安く譲っていただきたいのです」
「・・・いったいどこでそれを?」

 俺の声に警戒が混じる。

 俺が宝珠を創っていることは基本的に公表されていない。もちろん俺の知り合いや六道家傘下の宝石商の人は知っているが、それはあくまでごく一部。別に口止めをしているわけではないが、注目されたいわけではないので、なるべく内緒にしてもらっている。

「い、いえやましいことはしていません。京道さんに紹介してもらって・・・」

 京道さんとは俺がお世話になっている宝石商の人だ。この人自体も六道家配下の式神使いでGSでもある。

「以前、保険関係を扱わせていただいたことがありまして、それ以来懇意にさせてもらっているのですが、その・・・どうしても宝珠が欲しいと京道さんに相談したら、こちらを紹介していただいて・・・」
「なるほど・・・」

 京道さんの紹介なら、まあ信用してもいいと思う。あの人がむやみやたらな事はするとは思えないし。

「それで、いったいどうして宝珠が欲しいんですか?事情もなしに、安く譲れるものでないことは分かっていると思いますが」

 自分で言うのもなんだが、宝珠は精霊石と並ぶ超高級オカルトアイテムだ。そのために値段も精霊石とほとんど同じ。GSやどこぞの大金持ちならいざ知らず、一般人が買えるようなものではない。第一、一般には流通していないし、どんなにがんばっても1週間に1個のペースでしか創れないので根本的に数が少ない。

「じつはその・・・結婚を考えているのですが、その彼女はオカルトGメンに所属していまして・・・」

 事情を話し出す男、戸西氏。


 

 要するに、彼女にプロポーズしたいと思っているのだが、なかなかきっかけがつかめない。そんな時、以前彼女から聞いたオカルトアイテム宝珠。その色合い、輝き。一度だけGメンの任務で見たときのことをうっとりと話す彼女を見て、是非とも宝珠の指輪で結婚を申し込みたいと思い、色々なツテをあたり、俺を探し当てた・・・とそう言う事らしい。ちなみに彼女に聞かなかったのは、秘密にしたかったからとのこと。


 

「はあ・・・なるほど」

 そう言う事情なら京道さんが紹介してくれたのも納得できる。とはいえ・・・

「ちなみに予算の方は?」
「・・・500万が精一杯です」

 うつむいてそう言う戸西氏。大手保険会社の調査員とはいえ、戸西氏の年齢から考えても年収は1千万いかないだろう。その中で500万円という事は給料の半年分以上・・・ずいぶんがんばった金額だと思う。しかしそれでも相場の20分の1。いくら製造者直売、卸売価格だとしても、その値段で売るのはきびしい。第一、宝珠の流通価格も、宝珠の性能はさることながら、精霊石市場のことをふまえた上でダンピングにならないように六道家と色々相談して決めたのだ。

 それが分かっているのだろう。戸西氏も言いにくそうな顔で言った。

「え〜と、その言いにくいんですけどちょっと・・・それに別に宝珠じゃなくても、他の宝石なんかでもいいんじゃないですか?やはり大切なのは気持ちだと思いますし。それにその予算なら、小ぶりの精霊石くらいなら何とかならないこともないですし」
「それは重々承知です。ですがやはり・・・宝珠というのは最高の防御アイテムだと聞きました」
「それはまあ一応」

 下手な防御結界や霊的防具よりも、『障壁呪』を組み込んだ宝珠の方がその何倍も霊的、物理的な防御力があるのは確かだ。

「オカルトGメンというのはずいぶんと危険な職場のようです。彼女も何度も死ぬような目にあったことがあると言っていましたし、実際に大けがをしたことも何度かあります」

 組織力、資金力がある分、民間のGSよりオカルトGメンの方が身の危険は少ないが、それでも年に何人もの殉職者を出しているのが実情だ。だいたい俺が引退したのもその理由からだ。

「私も危険だから何度か辞めるように説得したことはありますが、『霊障に困っているのに、依頼料が払えない貧しい人たちの力になりたい』といって彼女は頑として聞いてはくれません。きっとその熱意は、結婚したからと言って変わることはないとおもいます」

 その言葉に、思わずオカルトGメンに就職した友人のことを思い浮かべてしまう。

「彼女を失いたくはありません。かといって彼女の理想を妨げることも出来ません。それなら霊能力も、オカルトの知識もない私が、せめて彼女のために出来ることをと・・・無理を承知でお願いします。どうか宝珠を譲ってください!」

 土下座せんばかりに頭を下げる戸西氏。その言葉に、態度にウソは見えない。

 彼の気持ちはよく分かるつもりだ。俺自身がここにいること自体、彼女の・・・彼女たちのおかげであり、彼女たちのためなのだから。何も出来なかったルシオラのため。必ず護ると誓った蛍のため。

 戸西氏のために宝珠を創ってあげたいと思う。少なくとも俺自身はそう思っている。しかし数少ない宝珠を手に入れたいと思っている人はごまんといるし、そうそうに例外を認めるわけにはいかない。

 いい方法はないかと考える。目の前には未だに頭を下げたままの保険調査員の戸西氏。

 ん・・・調査員?


 

「ちょっと待っててください」

 いきなりのことに頭を上げ、怪訝な表情をする戸西氏にかまわず、部屋を出る。ついでにドアのところで聞き耳を立てていた蛍とシロタマにお茶を持ってくるように言い、書斎をあさり、いくつかの書類の束をまとめる。部屋に戻ると、蛍とシロタマが既にお茶を運んできていた。

「お待たせしました。お、サンキュ。一応紹介します、この子は俺の娘で蛍って言います。蛍、ご挨拶して」
「よこしまほたるです(ペコ)」

 ぺこりと頭を下げる蛍。戸西氏は若い俺に、蛍みたいな大きな子どもがいることに驚いているようだ。まあ慣れてるけど。

「それとこっちが犬塚シロと金野タマモ」
「始めましてでござる」
「よろしく」
「ちなみに二人ともまだ学生ですけど、オカルトGメンの特別捜査官をやっています」

 これにも戸西氏は驚いている。まあ無理もないだろうが。

「さて、先ほども言いましたが、やはりその予算に宝珠を譲ることは出来ません」
「そこをなん・・・」
「そこでですが、戸西さん。俺の代わりにこれを調査する気はありませんか?」

 にやりと笑って、手元の資料をテーブルに置く。そこに書かれているのは100件を超す住所録。

「これは今まで宝珠を購入した人のデータなんですが・・・」

 宝珠は俺の霊力が物質化したものだ。だから完全に使い切らない限り、なくなったりすることはないし、基本的にアフターケアをする必要はない。しかしやはり自分が作ったものなので、どうなったか気になるし、購入した人の声が分かれば、さらに呪式を突き詰めることが出来るかもしれない。まあGSでもない限り、そうそう宝珠が使用されることなどないのだが、それはそれ。というわけで一年に一回、オカルトGメンや六道家の管理下にない宝珠購入者へのアンケート調査をすることにしている。

「ある程度はこちらからアンケート用紙を郵送するだけなんですけど、この業界は人の移動が激しくて、なかなか捕まらない人が多いんですよ。でもそういう人からこそ、データが欲しくて。でもそれやってるととっても時間がかかるんですよね・・・宝珠一つ軽く創れるくらいの時間が」
「・・・・っ!」

 こちらの意図に気づいたのか、戸西氏の顔が明るくなる。

「どうです戸西さん。この調査引き受けていただけません?報酬は宝珠の95%割引と言うことで・・・」

 俺はもう一度にやりと笑った。


 

 蛍とシロタマを連れてやってきたデパート。蛍は従業員のお姉さんに連れられて、奥の試着室へと消えていったところ。

「それでヨコシマ、いいの?」
「なにがだ?」
「さっきのヤツの事よ。確かにめんどくさいとは思うけど、宝珠を500万に割引するんじゃ割に合わないでしょ?」
「まあな。でもあそこまで言われたら、どうにかしてあげたくなるのが人情だろ?それに金に困ってる訳じゃあないしな」

 そう言ってタマモに苦笑いを返す。ちなみに金に困っているどころが、正直腐るほどある。どこかの誰かと違って、ちゃんと税金も納めているが、それでも一生遊んで暮らそうと思えば暮らせるだけの金が預金に詰まっている。まさかこの俺が銀行の最高のお得意様になるなんて、昔からはとうてい想像できないだろう。とはいえどんなに金があっても貧乏性は直らないが。

「そう?それならいいわ。それよりヨコシマ・・・制服ありがと」
「進学祝いだ。気にすんな」

 照れているのか、そっぽを向いてお礼を言うタマモ。

 六道学園の初等部にあがる蛍には新しい制服が必要になる。ついでだから今度高等部にあがるシロとタマモにも進学祝いと言うことで一緒に制服を買ってやることになった。

 と言うわけで俺の隣でベンチに座っているタマモは制服姿だ。せっかくだから写真を撮ろうとそのまま着ていてもらっている。


 

「どうも、お待たせいたしました」

 そうこうしている間に、蛍を連れて行った従業員の人が呼びにやってきた。シロはまだ戻ってきていないが、タマモと連れだって従業員の後に続く。

「パパ・・・どう?」

 恥ずかしそうに顔を赤く染めながら、上目遣いで訪ねてくる蛍。

 真っ白な丸襟のブラウスの首元には、ゴムで止めるタイプの赤いリボンタイがつけられ、その上には紺色の上着。肩ひもでつるタイプの同じく紺色のスカートは中等部、高等部とは違ってプリーツにはなっていない。そのスカートから伸びる蛍の白い足はレースのついたソックスで覆われている。まさに蛍のためにあると言っても過言ではない似合い方に、知らないうちに目尻が下がる。

「似合ってるぞ蛍。最高にな」

 俺にそう言われて、ますます顔を赤くする蛍。それでもほめられたのはうれしい様子。うつむきながらもチラチラと上目遣いでこちらを見ている。

「よかったわね〜お父様にほめられて。え〜とサイズはある程度ゆとりを持たせたあります。ですがこの歳のお子様は成長が早いですので、何度か買い換えていただく必要がありますが・・・」

 さすが六道女学園というか、有名デザイナーがデザインしたというだけあって、1セット軽くウン万円ととぶ制服だ。女の子ならば、中学生くらいになればほとんど成長がストップするが、逆に小学校のうちは男の子よりも成長が早い。とはいえ別に買い換えることになっても惜しい出費ではない。

「蛍、よく似合ってるわよ。せっかくだから・・・」

 蛍に何か吹き込むタマモ。そうして・・・


 

「え、え、こ、こう?・・・タマモお姉ちゃん」

 その場で片足立ちになると、くるっと一回転する蛍。

 プリーツではないが、ゆとりを持って作られたスカートがふわりと舞い、蛍の白いひざ小僧が目に入る。と同時に、ボブカットのきれいな黒髪が浮かび上がり、これまた真っ白なうなじが・・・

「っ!・・・・・タマモ、グッジョブ」

 親指をあげて答えるタマモ。さすがは金毛九尾白面の狐の生まれ替わり。男の事は何でもお見通しという訳か・・・。

「せんせ〜、お待たせでござる!」

 しっぽの穴を空けて貰いに行っていたシロも戻ってきた。

「よし、それじゃあ記念写真取りに行くか」

 制服姿の三人を連れて、同じデパートに中にある写真屋に向かう。多少周りから不振げな目で見られたが。


 

 小さなスタジオで、写真を撮る。

 受け取った写真には、元気いっぱいに笑うシロとクールな微笑を浮かべたタマモ、そして恥ずかしそうに笑う蛍の姿が、しっかりと映っていた。

 ちなみに蛍と二人だけで撮ってもらった親子写真が、写真屋の店頭ディスプレイに飾られることになったのは余談だ。





 

(保険調査員 戸西 薫)

 横島さんが出したアンケートが帰ってこなかった人に、片っ端から電話をかける。休日返上どころか、平日の仕事の合間にもかけ続けているが、なかなか終わりは見えない。ちなみに使っている電話は会社からの支給品なので電話代は問題ない。

「はい、はい・・・それで・・・」

 確かに面倒な仕事だ。ある意味本業とも言える私でもうんざりするような作業なのだ。

 しかしいくら面倒だからといって、この作業に9500万円もの価値があるわけではない。すべては横島さんの厚意なのだ。だから素早く、的確に処理しなければならない。

「はい・・・どうもお忙しいところを失礼いたしました」

 携帯電話を切る。ようやく半分といったところだろうか。

 それにしてもいままで宝珠を購入した様々な人たちから話を聞いて、よく分かったことがある。

 それは宝珠というオカルトアイテムのすさまじさ。

 横島さんの創る宝珠のほとんどは、防御のものらしいが、その威力が半端ではないらしい。『あれなら核爆弾でも防げる』と言った人もいたし、『あれがなかったら今頃墓の中』と言った人もいた。

 どうやら私の選択は間違っていなかったようだ。

 惜しむらくはどうしてもっと早くに、宝珠の存在を知らなかったかということだろう。

 後悔してもしょうがないことだとは分かっている。自分はオカルトについて何も知らないずぶの素人なのだ。

 それでも彼女のために、彼女を守るために、自分にも出来ることがあったのに今までどうして気づかなかったのか、という気持ちを抑えることは出来ない。

「・・・次のクライアントは」

 書類を見る。次も民間のGSだ。・・・ただし所在地がイギリスとなっているが。

 頭を英語に切り換える。

「Hello・・・This is ROKUDO Jewelry shop in Japan which you bought the HOUJU of sorcery jewel last year. So please ask me・・・」

 彼女のために。

 そして何より自分のけじめのために。


 

(横島忠夫)

 宝珠の最大のミソはその霊殻にある。

 一般には宝珠は物質化した霊力と思われているが、厳密にはそう言うわけじゃない。しっかりと物質化しているのは外側を形成している霊殻だけで、中身の核と呼んでいる部分は純粋な霊力が方向性の全くない状態で渦巻いているだけだ。

 霊殻に書き込まれる呪式は大きく分けて5つの部分から出来ている。発動のための条件である『起動式』、核の霊力を本式へと導くための『誘導式』、実際に効果を発揮するための『本式』、本式の補助をする『補助式』、効果を停止するための条件付けをする・・・大抵は核の霊力を使い切ってしまえば終了だが・・『制御式』だ。ひのめちゃんにあげたような『禁呪』となるとさらに複雑になるのだが、とにかくこれらの式が複雑に絡み合って、宝珠というのは成り立っている。とはいえ実際に宝珠を創れる俺にしか分からない感覚だろうが。

「・・・・・チキ・・・・・・チキ」

 霊力を浸透させた精神感応金属『オリハルコン』製のへら・・・と言っても先の太さは5ミリにも満たないが・・・で呪式を書き込んだ宝珠の形を整えて行く。ルーペをつけた片目の先で、薄い黄色がかった宝珠の面を押し固める。宝珠というのは小さければ小さいほど加工が難しい。なぜなら、カッティングの出来ない宝珠は、こうして霊殻をぎりぎりまで薄くしてから押し固める、という方法でしか平面を作ることが出来ないからだ。

 ジークやベスパと必死になって研究したブリリアンカットもどき。ダイヤモンドとは屈折率が大分違うが、そのあたりは霊殻自体を淡く発光させることで補う。いつか独自のカッティング・・・というかプレッシングを創りたいと思うが、今のところこれが一番きれいな輝きを見せる。

「・・・チキ・・・うっしゃぁ!完成!!」

 固定具から外し、照明に照らしてみる。イエローダイアモンドと見まがうばかり。良し、上出来だ。

 ついでに逆向きに霊力を浸透させる。もし呪式のどこかが断裂していたりしたら目も当てられないが・・・『起動式』までスムーズに流れるので問題なし。

 あとは毛皮の布で磨き上げ、先に作っておいた台座に取り付ければ終わりとなる。

 渾身の出来。要望通り指輪のサイズは16号。

 喜ぶ戸西氏の顔が目に浮かんだ。


 

「これが調査したレポートになります」
「いや〜すいません、お任せっきりになっちゃって」
「い、いえ・・・こちらの方がお礼を言わなければならないことですから、どうかお気になさらないでください」

 戸西氏が調査したレポート。ざっとしか目を通していないが、かなり突き詰めて調査してある。正直、4割くらいのデータがとれればマシだと思っていたが、さすが本職は違うと言うことなのだろう。

「それではこちらが約束の指輪になります」

 クリーム色のフェルト生地が敷かれた展示台のうえに乗る一つの指輪。リング自体に装飾はないものの、女性的な柔らかさを表現した丸みがあり、台座は8個のひし形が寄り集まったデザインで、シンプルだが清楚な感じを出している。そしてその中央に輝くのは、黄色がかった最高精製度の宝珠、ブリリアンカットもどき。

「これが・・・」
「手に取って見てください」
「は、はい・・・」

 震える指先でリングをつまみ上げる戸西氏。

「宝珠は58面擬似ブリリアンカット。リングはフルシルバー。台座にはほんの少し『破邪の銀(ミスリル)』が使ってあります」

 熱に浮かされたような目で指輪を見る戸西氏の姿に、つい調子に乗って営業トークになってしまった。関西人の悪いところだ。

「どうです?」
「え?・・・あ、あ、はい!すばらしいです!」

 興奮したように言う戸西氏。そこまで言われるとちょっとくすぐったいが、もちろん悪い気はしない。

「でも本当によろしいのですか?こんなすばらしいモノをたったの500万で・・・」
「かまいませんよ。対価は十分もらいましたし。ああ、あとコレ。サービスと言いますか、ちょっと気の早い結婚祝いということで」

 紫色の指輪入れを渡す。気後れか、ほんの少し顔が曇る戸西氏。しかしこれからプロポーズしようとする者がそんなことで気後れしていてはいけない。

「!本当に・・・・本当にありがとうございます!」

 額をこすりつけんばかりの戸西氏。

 こちらもいい仕事をさせてもらったのだから、何も言うことはない。

 ただ一言。


 

「プロポーズ、がんばってください」

 それだけだ。


 

(保険調査員 戸西 薫)

 何度決心しても、どうしても足を踏み出せなかった。

 でも今日は、まるで今までのことが嘘のように足が軽い。ポケットにいれた小箱の小さな重みが、逆に自分の身体を後押ししてくれているようだ。

「いままで言えなかったことを、聞いて欲しい・・・」

 沈黙が支配する中、ポケットから紫色の小箱を取り出し、よく見えるようにそっと開く。そこに輝くのは、小さいけれど、まるで春のような温もりを感じさせる宝珠の指輪。

「前に君が言ってた宝珠・・・結構高かったんだよ」

 一言はき出す、ただそれだけがひどくもどかしい。

「・・・でもこれは僕のケジメだから」

 心を決める。そっと小箱を差し出す。


 

「・・・愛してる。どうか結婚して欲しい」





 言葉は単純。でも込めた想いは、きっと彼女に届く。

 沈黙。

 春の風が撫でてゆく。言葉は返ってこない。




 

 でもそれで十分だ。



「・・・ありがとう」



 震える手でそっと小箱から指輪を取り出す。そして指輪を優しく握りしめる。

 それは優しく、そして寂しい儀式。






「これは・・・もし・・・僕にまた大切な人が出来たら・・・その人のために使いたいと思う」






 

 3ヶ月前、冬の寒い日に殉職した彼女。強い何かに引き裂かれた身体は人の形をとどめていなかったのに、棺の中で眠る顔だけは、まるで眠るような表情だったのをよく覚えている。

 結局自分は間に合わなかった。ただそれだけ。


「君のことは・・・忘れないから・・・」


 理想と現実。

 どちらをとるかなんて、考えるだけナンセンスだ。どんな人にだろうと、最後に訪れるのは『死』という現実(リアル)なのだから。

 いや、だからこそ『死』という現実が来るまで、人は理想に生きるのかもしれない。



「来年、また来るよ」



 春の優しい風が、来たときとは反対向きに私を後押しする。一度もはめられることのなかった指輪と共に。



 ケジメは果たされた。

 だから今度は花を持って、墓参りに来よう。

 来年の春の日に。




 

(横島忠夫)

「あの、こ、こちらにご記入をお願いします!」

 初等部の入学式の手伝いに駆り出されたのか、高等部の女生徒が受付をしている。なぜか慌てているのだが。

「こうかな?」
「は、はい!あ、あとコレを!」

 俺の胸元にピンク色の花をつける女生徒。その手元が危なっかしい。

「慌てなくてもいいからね」
「は、はい!す、す、すいません!」

 なぜかよけいに危なっかしくなる手元。さすがにこのままだと胸までピンに刺されかねないと、やんわりと女生徒の手を握る。

「ひゃっ!?あ、あの・・・」
「あとがつかえてるだろ?これくらい自分で出来るからさ」
「はい、す、すいません!」
「いや、いいって。さ、蛍」

 素早くピンを止めると、蛍の手を取る。入学式は講堂で行われるらしい。

「きゃ〜手、握られちゃった!」
「あの年で子持ち!しかもかっこいい!!」
「見たあのスーツ、アルマーニよ、アルマーニ!きっと青年実業家か何かよ、絶対!」


 混雑している受付を抜け、桜の花びらが舞う中庭を通り抜ける。

「ほら、ここがこれから蛍が通う学校だぞ?」
「・・・・・(きょろきょろ)」


 キョロキョロと辺りを見回す蛍。

 その身体はこの間買ったばかりの真新しい制服に包まれ、赤いリボンのついた紺色の帽子をかぶっている。今日は当然授業はないので、鞄は持っていない。ちなみに俺は前に六道家のセレモニーに招待されたとき、六道理事長にもらったなんの変哲もないスーツだ。

 つないだ蛍の小さな手にきゅっと力が入る。まるでそれが蛍の不安を表しているようで、だから優しく握り返す。

 見上げてくる蛍。にっこりと笑いかける。

「楽しいクラスだといいな」
「・・・うんっ!」




 

 きっと、春の風が背中をそっと押してくれるから。



 春は、新しい季節なのだ。


 

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