<育児日記5月1日>

 今日は疲れた。しかしどうにかお袋には納得してもらえたようだ。正直、ずたぼろに折檻を受ける覚悟はしていたのだが、予想よりも追求されることはなかったので拍子抜けだった。とにかくこれで最大の難関は突破したと言えるだろう。ちなみにお袋はゴールデンウィークの間は日本に滞在して、週明けにナルニアに戻るとのこと。明日は蛍を連れてショッピングに行く予定だ。・・・本当に色々すまん、お袋。


 

宝珠師横島 〜The Jewelry days〜


第3話   『グレートマザー再来・親子水入らず』


 

(横島忠夫)

「よ〜し蛍、流すぞ〜」
「・・・・・(こくこく)」

 力いっぱい眼をつぶる蛍の頭の上から、洗面器にとったお湯をかけてやる。お風呂自体は好きなようだが、頭を洗うのはどうにもいやなようだ。とはいえせっかくのきれいな黒髪なのだから必ず3日に一度は洗うようにしている。ちなみに妙神山の温泉で慣れてしまったせいか、それともただ単に俺が古くさい人間のせいか、シャワーを使う習慣はない。

「(ふるふる)・・・う〜、ぱぱ」

 眼をつぶったままキョロキョロする蛍に絞ったタオルを渡してやる。

「(ごしごし)・・・ぷはっ」

 もしかして頭を流すとき、息も止めてたのか?

「ほれ、ちゃんと着かれよ」

 シミ一つない真っ白な蛍の裸が目にまぶしい。もちろんその身体に欲情することはない。第一、おむつの替えから入浴までやってきたのだし、俺にそんな趣味はない。ただそのマシュマロのような肌には、別の意味で思わず触れたくなってしまう気持ちはどうしようもないが。

 あつくもぬるくもない、ちょうどいい湯加減。当初、風呂を沸かしたときはあつすぎたり、逆に冷たすぎたりして入れなかった事を思えば十分な進歩だ。まさか風呂を沸かすのにこれほどの技術がいるとは・・・まあ妙神山は温泉だったし、その前に住んでたアパートは風呂などと言った贅沢なものは付いていなかったので、かれこれ10年以上風呂を沸かしたことがなかっただけなのだが。

「えう〜」

 湯船の中で俺の膝の上に乗り、こちらに身を預けて来る蛍。そのとろけそうな表情に苦笑しながら、片手で絞ったタオルの端で蛍の耳や耳の裏をふく。

「ねえパパ?」
「ん、なんだ?」

 思い切り首をそらせて下から俺の顔をのぞく蛍。

「お婆ちゃん・・・来るの?」
「そうだよ」

 1年以上なんの連絡もしていなかったことを怒鳴られながら、このあいだ電話で大事な話がしたいと頼み込み、このゴールデンウィークに帰国してもらう事になった。とはいえ仕事の関係で親父はナルニアを離れられないとかで、お袋だけの帰国なのだが。

「だからお風呂出たら早く寝ような」

 正直、お袋と顔を合わせるのは気が重い。一年以上連絡もせずに、しかも高校は退学。その上、なにより蛍の事がある。正直、話さずにすませられるのならそれに越したことはないのだが、そうはいかないだろう。とはいえ話せられることは少なく、それで納得してもらえるとは思わない。

 しかしやはりお袋たちには蛍のことを認めてもらいたい。が、例えどんな拷問を受けようと話すわけに行かない秘密もある。たとえそれが自分の両親であろうと・・・。

 お袋がこっちに着くのは昼。空港まで蛍と迎えに行くつもりだ。

「さあ、30数えたら出るか」
「(こく)・・・い〜ち、にぃ〜、さ〜ん」

 明日が、俺たち家族にとって最大の試練になるのは間違いない。




 

(横島百合子)

「ふぅ・・・」

 まったく、こんな帰国になるとは思ってもいなかった。一年以上音沙汰のなかったバカ息子からの帰国の願い。

 何度も読み返した手元のレポート。不振に思って宿六の部下に頼んで調べてもらったのだが、通っていた高校は退学。しかも本当に一年ほど失踪していたらしい。最近になってひょっこり顔を出したかと思うと、一軒家を手に入れてそこで暮らしているとなっている。しかも・・・


 

「扶養家族あり・・・ねぇ」



 4,5歳の幼女と共に暮らしているらしい。

 息子の性癖は理解しているので、そっちの犯罪に手を染めているわけではないという確信はある。だからといって、息子を信用しているかというと・・・そんなことはない。教育に失敗したとは思っていないが、宿六の血をついでいるというだけで疑う要素になる。

 レポートに挟まれている写真を見る。

 手をつなぎ、仲むつまじく歩く息子と幼女。手に持ったスーパーの袋から買い物帰りなのだろうか。

 始めこの写真を見たとき、ダンナ共々思わず目を疑ってしまった。これが本当にあのバカ息子なのだろうかと。もちろん自分の息子の顔を見間違えるということはないが、それでも何度も目をこすってしまったし、宿六に至っては眼鏡を本気で老眼鏡に変えようとしていたほどだ。

 着陸態勢に入った旅客機。前回とは違って何もない穏やかなフライトだった。

 だが間違いなく前回より波乱に満ちた帰国になるだろう。

『・・・空港の天気は晴れ、外部温度は17度となっております』



 さあ、はじめて刮目して見る、バカ息子だ。








 

「よこしまほたるです。はじめまして・・・おばあちゃん・・・」

 目の前でぺこりとお辞儀をする幼女の言葉に一瞬固まる。しかし息子の前で醜態はさらさない。

「ひさしぶり、母さん」
「あ、ああ・・・『本当に!』久しぶりだね」

 本当、の部分に思い切り力を込めて息子をにらむ。

「わ、悪かったよ」

 幼女の手を引っ張って自分の前に現れたときは本当にこれが忠夫かと思ったが、自分の眼光に少したじろぐ姿は、以前の忠夫のようだ。少しというのが少々気に入らないが。

 忠夫の横でおどおどとしている『よこしまほたる』と名乗った幼女。写真を見たときも思ったが、実物を見て確信した。

 こんなに早くお婆ちゃんになるなんて・・・と。


 

「と、とにかく疲れてるだろ?その辺で飯食ってウチに帰ろう」

 どもりながら話す忠夫。要するに詳しいことは家に帰ってから・・・と言うことだろう。

「それはいいから、母さんにも自己紹介させなさい。はじめまして蛍ちゃん、あなたのお婆ちゃんよ」
「・・・・(ぺこ)」

 もう一度お辞儀をする蛍ちゃん。こんなにかわいいって事は母親似かしらね。

「・・・母さん」
「まったく、こんなに早くお婆ちゃんになるつもりはなかったんだけどね。まあかわいい孫に免じてあげるわ・・・とりあえずはね」
「ははは・・・(汗)」
「さあ蛍ちゃん、お昼ごはん何が食べたい?お婆ちゃんがごちそうしてあげるわよ」

 首をひねって真剣に考える孫を見ながら、心の中で深くため息をついた。






 

(横島忠夫)


「・・・で、そんな説明で人が納得するとおもってんのかい?」
「だ、だめかな?」

「ったりまえや、このあほんだら!」

 自宅のリビングでお袋に説明したのだが・・・

「蛍ちゃんが実の娘だってのはまあいいわ。母親もそのルシオラさんって言う人なのも分かったわ。それでなに、その宝珠だか数珠だかようわからんもの売って、二人で生活するって言うの?」
「い、いや収入的には問題ない・・・」
「そんなこと言うとるんやない!だいたいアンタはまだ未成年やろが!しかも高校も中退しよってからに・・・そんな半端モンが子ども育てようなんてアホいうんやない!」

 ものすごい剣幕で怒鳴られる。しかしそれでも引くわけにはいかない。感情的にはめっちゃこわいが。

「あ、アイツとの約束なんだよ、蛍はしっかり育てるって・・・」
「そんなら母さんが預かってあげるわ。アンタはきちんと高校卒業して、それからしっかり身を固めてから蛍ちゃんを迎えにこればいいわ」

「そ、それでも・・・」

「しっかり育てるってルシオラさんと約束したんでしょ。それならどうした方がしっかり育てられるか分かるはずやろ!」

 リストバンド代わりのバンダナを握りしめる。ぐうの音も出ない。

「ふぅ・・・別に蛍ちゃんと別れろって言ってる訳じゃないよ。会いたいときに会いにこればいいわ。アンタが蛍ちゃんの父親っていうのは紛れもない事実だし、蛍ちゃんにとってパパは忠夫・・・アンタだけ。それでもアンタと、何より蛍ちゃんのためにはそうした方がいいって分かるでしょ?」

 お袋の言うとおりかもしれない。俺のことはこの際どうだっていい。だが蛍の将来を考えると、母親はいなくて、しかも年が十歳そこそこしか離れていない父親より、しっかりしたお袋たちに育ててもらう方がいいだろう。


 

 それは理解できる。

 だが・・・


 

「・・・すまん、母さん」

「アンタ、まだそんな聞き分けのないことを・・・」
「分かってる!」

 そう、これが俺の単なるわがままだって事は分かっている。

「それでも、蛍と離れるわけにはいかない。アイツがいなくなって、どん底に陥っていた俺を救ってくれたのは、蛍の笑顔だった。死に急ごうとする俺を止めてくれたのは、蛍の泣き声だった。今俺がこうしてられるのは全部・・・そう全部、蛍のおかげなんだ」

 俺の子ども、愛しい愛娘・・・蛍。その小さな光に何度救われたことか。何度目を覚まさせてくれたか。俺がまた笑えるようになったのも、蛍と一緒に笑いたいと思ったからだ。だから・・・

「母さんには本当にすまないと思ってるし、ありがたいと思ってる。でも俺は決めたんだ。蛍を守る。どんな物からもモノからも、例え目に見えないものからも『護る』って。これは俺のわがままなのは分かってる。それでもこれが俺を救ってくれた蛍へのせめてもの恩返しと、それとルシオラへの誓いなんだ・・・」

「・・・親子の縁、切るって言ってもかい?」

「蛍が生まれて、親子の絆がどれほどのもんかはわかったつもりだ。それでも・・・すまん母さん」





 

(横島百合子)

「・・・すまん母さん」

 決して目をそらさない息子。覚悟の宿るその目は、まさしく父親のものだ。

(全く、親の知らないとこで勝手に成長して・・・)

 ふうと息を吐く。

「・・・よし、合格よ」

「へっ?」
「何間抜けな顔してるのよ」
「いやだって、合格って・・・」
「そうよ、合格。アンタと蛍ちゃんのこと認めてあげるって言ってんのよ。ちょっとは喜んだらどう?」

 気の抜けたのかソファに身を預ける息子。

「俺を試したのかよ」
「別に試してたって訳じゃないんだけどね。でも覚悟がないなら本気で蛍ちゃんを引き取るつもりだったわよ。それにしてもあのちゃらんぽらんだったアンタがそこまで言うなんてね・・・」
「なんだよ、ちゃらんぽらんって」

 口をとがらせながら苦笑する息子。こんな何気ない仕草の端々にも、息子の成長が見える。それはきっと蛍ちゃんのおかげであり、そしてこんな息子を愛してくれた人のおかげなのだろう。

「ルシオラさんに会ってみたかったわ・・・」

 息子を安心して任せられる嫁に預けるまでは、しっかり自分が手綱を取るつもりだったが、いつの間にか現れた女性がしっかりと引き継いでくれたようだ。そしてその手綱はルシオラという少女が消えた今も、その娘である孫がしっかりと握ってくれている。

 いつの間にかかすめ取られてしまった手綱。

 寂しさとほんの少しの悔しさ。

 娘を嫁に出す父親ではないが、寂しさを感じずにはいられない。それでもいい嫁、いい孫に恵まれた自分は幸運だろう。惜しむらくは、その新しい自分の娘になる予定だった少女に、一度も感謝の言葉を言えなかったこと。そして姑として小言の一つも出来なかったことぐらいか。

 いや、そんな出来た嫁ならいい関係を築けただろう。

「ルシオラさんに感謝しなくちゃね」
「俺からもそう言っとくよ」

 本当に感謝してもしたりない。

「さて、そろそろ蛍ちゃんも起きてくるでしょうし、おやつにでもしましょうか」

 場の空気を入れ換えるように明るく言う。





 

 自分の心に芽生える憎しみをかき消すように・・・。













 

 親子・・・いや親子孫で布団を並べる。今自分が寝ている布団は、私のためにわざわざ買ってきたらしい。

 蛍ちゃんを挟んで、少々いびつな川の字。


 

「・・・一年ほど前、美神美智恵さんがみえてね」
「・・・・」

 蛍ちゃんの小さな寝息の中、ぽつりと話し出す。


 

 思い出すのは一年ほど前。大きくなり始めたおなかを抱えて訪ねてきた女性。彼女は自分たち夫婦に挨拶すると、土下座をして謝った。自分はあなた達の息子に、取り返しのない傷を付けてしまったと。

「ルシオラさんのこと・・・聞いたわ」

 思い切り罵倒してしまいたいのを必死でこらえた。殴りつけてしまうのを歯を食いしばって我慢した。

 同じ親、だから彼女の気持ちは痛いほど分かる。

 だがそれがどうしたというのか。なぜ息子が犠牲にならなければならなかった。なぜ息子の恋人が死なねばならなかった。なぜ息子が傷つかねばならなかった。

 そして彼女に投げかけようとした罵倒を、自分にあびせた。

 なぜお前は息子を一人にした。なぜお前は無理にでも息子を連れて行かなかった。前に帰国したときが最後のチャンスだったのにどうしてそれを見逃した。それでも母親か。母親を名乗るつもりか。

 お前は母親失格だ。

 血が出るほど唇をかみしめ、涙をこらえた。


 

「そうか・・・」
「・・・・(す〜す〜)」


 息子の声。孫の寝息。

 そして今日二人にあって、また黒い感情がわき上がってきた・・・娘になるはずだった少女に対して。

 なぜお前は死んだ。なぜお前は息子と孫を残して逝った。自分から息子を奪い取ったくせに、置きみやげを残すだけ残して勝手にいなくなるとはどういうつもりだ。お前のせいでどれほど息子が傷ついたと思っているのだ。

「すまん・・・母さん」
「・・・ふん、男がそんなにぽんぽん謝るモンじゃないよ」


 

 そうだ、忠夫は何も悪くない。なんの罪もない。では誰が悪い。誰のせいだ。いったい誰の・・・



「なあ、母さん」

「なんだい」







 

「俺は・・・今幸せだから・・・」







 

 ひゅうと息が漏れる。

 だめだ、そんなことを言うなバカ息子。そんなこと言ったら・・・

「そうかい。・・・ちょっとのどが渇いたねえ」


 

 かすれそうな声に冷や冷やしながら布団を抜け出す。パジャマの上にコートを着込み、音を立てないように外へ飛び出す。





 

 口を押さえる。





 

 泣くな。泣いてどうする。息子が涙に暮れているとき何も出来なかったお前が、泣いて楽になるなんて許されると思っているのか。


 奥歯がぎりりときしむ。月がかすむ。それでも涙はこぼさない。




 

「・・・百合子」

「!あなた・・・どうして・・・」

 そのとき目の前に現れたのは自分の夫。仕事のためにナルニアに置いてきたはずの宿六。

「ちょっと気になってな・・・この後すぐにとんぼ帰りさ」

 肩をすくめて言う。それはきっと本当のこと。

「忠夫に泣かされるなんて・・・お前もヤキが回ったな・・・」
「う、うるさい!」

 恥ずかしくなってそっぽを向く。




 

「なあ、そろそろ許してやれよ」

「・・・なんのこと」


 

 私に近寄る宿六。

「きっと誰も悪くなんてねえんだよ。みんな自分に精一杯で、ちょっと気をつける余裕がなかった・・・きっとそれだけのことなんじゃねえのか」

 宿六がポケットから何かを取り出す。ネックレスだろうか・・・それを私の手に握らせる。

 銀色の鎖の先に、金の装飾が施された、緑色の玉が光っている。蛍ちゃんの首に掛かっていたものと、よく似たそれ。よく見ると玉の裏側に何か掘ってあり・・・


 

「・・・・・っ!」

 ああ・・・もうダメ・・・だ。









 

『母さんへ』






 

 ダンナの胸にすがりつく。

「・・・・・ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!」

 ため込んだ一年分の涙は、止まらなかった。









 

(横島大樹)

「つったく、あのくそ息子が・・・」

 飛行機の中で口汚くつぶやく。

 かといって『貸し』なのか『借り』なのかよく分からない状況だったので、どうこう言うことはない。しかしなぜか息子に負けた気分だった。

 しかし腫れた目をこする妻の表情はどこか晴れやかだったので、やはり今回のは『借り』なのだと思う。

「それにしても孫ってなあいいもんだな〜」

 部下に命じてとらせた孫の写真。所々邪魔なバカ息子が写っているがそれは無視の方向。写真の中の幼女だけ視界に入れる。

 おじいちゃんと呼ばれる自分を想像しながらにたにたと笑う中年親父。周りの乗客もキャビンアテンダントも引いた目で見ているのにはまったく気がつかない。


 

 しかし彼は知らなかった。


 

 孫にとって『おじいちゃん』と呼ぶべき人(?)はもう既に2人いて、自分はおじいちゃんと呼んでもらえないことは。







 

(横島忠夫)

「ん、ん〜」

 目を覚ます。開かれたカーテンから入ってくる朝日が見にまぶしい。

「おや、起きたかい」

 割烹着のようなエプロンをつけてカーテンを開けている母親の姿。蛍も目を覚ましたようだ。まだ眠いのか、くっつきそうなまぶたを必死に開こうとしている。

「さあさあ、二人とも顔を洗ってご飯にするよ」

 母さんの後ろを寝ぼけながら着いて行く蛍。

「ほら、アンタもはやくしなさい」

 振り返りながら言うお袋。『子ども扱いするな』と言おうとして、やめた。



『いつまでたっても、子どもは子ども』



 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 俺もいつか蛍にそんなことを言うときが来るのだろうか。もしそうなら、それはとても楽しみなことに思える。

「うみゅう〜・・・ぱぱ・・・」

「すぐ行くよ」


 

 廊下で寝ようとする蛍を抱えあげると、言われたとおりに洗面所へ向かった。


 朝の水は、きっと気持ちが良いに違いない。


 

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