『注意!』

 この作品は、拙作『宝珠師横島 〜The Jewelry days〜』のプロローグストーリーとなっております。時間軸は<The Jewelry days>編より前となりますが、順序的には『第2章』となりますので、未読の方はお手数ですが前作『宝珠師横島 〜The Jewelry days〜』全10話をお読みになってからご覧ください。


 

(前書き)『お願い』

 この作品はダークな表現、また見る方によっては『痛い』と感じられる表現があります。ですが前作『宝珠師横島 〜The Jewelry days〜』でほんの少しでも心癒された方は、厚かましいお願いですが、是非最後までお読みください。登場人物たちが乗り越えた『闇』の深さを少しでもご理解頂けたら、あの輝ける<Jewelry days>の大切さを、よりいっそう感じて頂けると思います。それでは・・・。


 

 ほ・・・ほ・・・ほたる来い


 

 そっちの水は甘いぞ


 

 こっちの水は辛いぞ


 

 ほ・・・ほ・・・ほたる来い


 

宝珠師横島before 〜The Broken stones〜


 

-----第1話 『記憶・重なり』


 

(ベスパ)

 ようやくとれた休暇。まだまだ新兵である自分では、気軽に休暇の申請などなかなか出来ない。だから会いに来たくても、なかなか会いに来ることは出来なかった。

 しかし申請を出してから数ヶ月。何度も上官に頼み込んでもダメだったのが、つい先日突然OKが降りた。しかも無期限・・・どう考えてもおかしいと思ったが、たった一人の妹が気がかりだった事もあり、ありがたく休暇をもらいこうして妙神山までやってきたのだが・・・


 

「・・・ベスパ・・・ちゃん・・・?」


 

 神族のテリトリーである妙神山。あの事件から久しぶりに会った妹は、以前とは全く違った様子だった。

「・・・ああ・・・ベスパちゃん・・・でちゅ・・・」

 よろよろとした足取りでこちらに歩み寄ってくるパピリオ。前に着ていたサーカスの衣装のような服ではなく、中国風の服装に身を包んだ小さな身体からは、昔のような有り余る元気さは感じられない。

「・・・ひさしぶり・・・でちゅね・・・元気してまちたか・・・?」
「ちょっ・・・アタシのことよりお前の方が大丈夫じゃないだろ!」

 顔をゆがませるパピリオ。もしかして今のは笑おうとしたのか?


 

 真っ赤に充血した目と、目の下にくっきりと浮かんだクマ。顔には涙が流れた後がくっきりと浮かび、顔色も良くない。


 

「ちょっと・・・寝不足なだけでちゅよ・・・」

 今度は笑うことに成功したパピリオ。しかしその目はうつろで、どんなにぶいヤツが見ても笑ってるようには見えないだろう。どう考えても尋常な事態ではない。

「いったいどうしたって言うん・・・」

 パピリオに事情を問おうとしたとき、不意に耳に入ってきた。


 

『ほ・・・ほ・・・ほたる来い

 そっちの水は甘いぞ

 こっちの水は辛いぞ

 ほ・・・ほ・・・ほたる来い』


 

「いったい今のはなんなん・・・!?」

『がちがちがちがち・・・』

 目を向ける。

 視線の先には、真っ青な顔をして歯をがちがちと鳴らすパピリオ。両手で耳を押さえ、震えながら必死で歌を聞かまいとしている。

「・・・ぃや・・・いやぁ・・・やめて・・・やめてくだちゃい・・・おねがい・・・やめてくだちゃい・・・おねがい・・・でちゅ・・・ぃやぁ・・・」

 哀願するような声。

「どうしたんだよパピリオ!パピリオ!!」

 いやいやと、泣きながら首を振るパピリオの肩をつかみ、揺さぶる。

「・・・ベスパ・・・ちゃん・・・?」

 今まで会話していたことがまるでなかったかのように、今はじめてアタシに気がついたように言うパビリオ。

「・・・ベスパちゃん・・・お願いでちゅ・・・ヨコチマを・・・ヨコチマを止めてくだちゃい!!」
「・・・ポチを?」
「・・・お願い・・・でちゅ・・・!」

 間違いなくそれは、哀願。うちひしがれた者のする、哀願だ。


 

「やめてください横島さん!やめてください!」
「そうなのねー!早く手当てしないと死んじゃうのねー!」


 

『びくっ!!』


 

「ちょ、パピリオ!?しっかりしな、パピリオ!」

 奥から聞こえてきた叫び声を聞くなり、気を失うパピリオ。

「・・・いったいなんだって言うんだい」

 気を失ったパピリオをこのままにするわけにはいかず、とにかく抱き上げると、叫び声が聞こえてきた方に走る。程なくして中庭のような所に出る。そこにいたのは、ここの管理人である神族、龍神小竜姫とヒャクメとか言う神族の情報官、そして・・・


 

「・・・ポチ・・・!?」

 そこにいたのは、羽交い締めにされながら、小さく歌を紡ぐポチの姿だった。


 

 そしてポチの左手には、あるべき手首が存在していなかった。


 

「・・・いったい、どういう事なんだ?」

 気を失ったポチに小竜姫がヒーリングをかけ、どうにかポチが一命を取り留めたのが一刻ほど前。そのポチは今、奥の座敷に寝かされている。

「・・・・・・・」

 目の前に座っているのは、龍神小竜姫と神界調査官とか言うヒャクメ。ふたりともパピリオほどではないが憔悴した顔をしている。

「なあ、いったい何があったんだ?久しぶりに会いに来てみたらパピリオはこんな様子だし、ポチ・・・ヨコシマに至ってはあんなんだし・・・」

 本来なら自分は単なる休暇に無理押しで訪ねてきた魔族だし、以前ここを破壊したこともある。だから情報官のヒャクメはともかく、管理人である小竜姫にはなるべく殊勝な態度で臨むつもりだった。しかし訪ねてきたそうそう、理解の及ばないような状況。しかも唯一の妹はまるで生気が抜けたような状態。パピリオの今後のためにも下手に出ようと思っていたのだが、そんなこと完全に吹き飛んでしまった。


 

 自分の太股を枕にして眠っているパピリオの前髪をかき上げながら聞く。

「・・・あれは・・・・・・」
「横島さんが・・・自分で切り落としたのねー・・・」

「・・・え?」


 

 沈痛な面持ちでそう言う二人。

「ポチが・・・自分で・・・?」

 時々顔をゆがませるパビリオの額に浮かんだ脂汗をぬぐう。

「はい・・・」
「・・・もうこれで3度目なのねー」
「それじゃあ・・・自殺ってことかい?」

 アタシの問いに、二人は小さく首を縦に振る。

「なんでポチは自殺なんか・・・?」

 口の中でつぶやいた言葉に、極端に身を固くする二人。どうやらポチのヤツが自殺しようとしたのには理由があるようだ。

 その時パピリオが小さく寝言をもらす。

「・・・・・ん・・・だめ・・・・」

 パピリオの顔がゆがむ。寝ているというのに、その目からははらはらと涙が流れ落ちてゆく。

「・・・ん・・・ダメ・・・・でちゅ・・・行っちゃだめでちゅ・・・ヨコチマ・・・・ルシオラちゃん・・・ダメ・・・・・・・ダメでちゅ・・・・・・ダメぇ!!」

 飛び起きるパピリオ。その手は何かをつかもうと伸ばされ、そして虚空をつかむばかり。


 

「・・・・あ・・・・・ベスパちゃん・・・?」
「大丈夫か、パピリオ?」

 空をきる手を引き、身体ごと自分の方に向かせる。手のひらでぬぐってやっても、流れ出る方が早くて、涙の跡はいっこうに消えない。


 

「・・・ベスパ・・・ちゃん!」

 はじかれるようにアタシの胸に抱きつくパピリオ。その瞳から流れ落ちる涙は先ほどの比ではない。

「・・・ぅ・・・・・ぅぅ・・・・・・・ぅぁぁ・・・・・・・ぅぅぅぅ・・・・・・・・くぅぅっ・・・・ぁぅぅっ・・!」

 涙を流すパピリオ。いやいやと首を振りながら、アタシの胸にしがみつくパピリオ。


 

 なのに・・・なのになんで・・・そんな泣き方をするんだ!


 

「・・・・ぅぅぅ・・・・・ぅぅぅぁぅぅ・・・・・・・・ぅぁぅ・・・・ぅぅ・・・!」

 その口から漏れるのは、まるで獣が闇の中でうめくような音だけ。涙は脱水症状になるのではないかと思うくらい流しているのに、それとは全く不釣り合いな声しかもらさない。

「・・・パピ・・・お前・・・」
「・・・・・・・ぅぅ・・・・・・ぅぅぅ・・・・!」

 決して声をもらさないように、きつく・・・きつく歯をかみしめ、泣くパピリオ。歯が砕けてしまうのではないかと心配になるほど力が込められている。

「なんでだ・・・いつからお前はそんな泣き方するようになったんだよ・・・」


 

 いつからお前は、そんな悲しい泣き方をするようになったんだ!


 

 気まずそうに顔を背ける小竜姫とヒャクメ。よく見ると二人の目にも涙が溜まっており、ヒャクメの方は既に限界を超え、あふれ出してしまっている。

 パピリオの押し殺した泣き声が響く中、アタシも歯をかみしめるしかなかった。


 

(パピリオ)

「ここは・・・どこでちゅか?」

 目の前に広がるのは、色とりどりの花が咲き乱れた花畑。

「うわぁ・・・すごいでちゅ!」

 赤、黄、紫、桃、橙・・・それこそ数え切れないほどの花が、地平線の向こうまで続いていまちゅ。


 

 走り回る。

 わたちの眷属たちも連れてこれたら良かったのにと思いまちゅ。

 だってここには一匹の蝶もいまちぇんから。


 

「・・・あれ・・・?」

 花畑の中を走り回っていまちゅと、向こうの方に人影がいまちゅ。

「だれでちゅか、わたちの花畑に勝手に入ってきたのは!」

 こんなに広いのならちょっとくらい分けてあげてもいいでちゅけど、それでもわたちに一言くらい断るべきでちゅ。

「こら、何かってに入って・・・あれ、ヨコチマでちゅか?」
「やあ、パピリオ。ちょっと探し物してるんだけど・・・手伝ってくれないか?」
「探し物・・・でちゅか・・・?」

 ヨコチマがそう言ったとたん、急にはれていた空が暗くなってきまちた。

「いったい・・・何を探してるんでちゅか?」

 ヨコチマにおそるおそる訪ねる。ヨコチマはわたちに背中を向けたまま、花畑の中をごそごそとかき分けていまちゅ。


 

「うん、ルシオラのヤツを探してるんだけどさ・・・」

「・・・えっ・・・!?」


 

 背筋が凍る。ぽかぽかした陽気なのに、まるでわたちの周りだけが切り離されたみたいに寒いでちゅ。

「なあ、パピリオ・・・ルシオラを見なかったか?」

 背中越しにそう言うヨコチマ。普通にしゃべってるはずなのに、まるで人形と話しているような気分になりまちゅ。

「ルシオラちゃん・・・でちゅか・・・?」
「ああ、さっきまでいたのに、急にいなくなっちまってな。まったくどこにいったんだか・・・」

 そう言うヨコチマ。顔は見えないからよく分かりまちぇんけど、くつくつと笑っているみたいでちゅ。


 

「くつくつ・・・くつくつ・・・」


 

 いやな笑い声をあげるヨコチマ。それはまるで食虫植物みたいな、嫌らしい、ものすごく嫌いな笑い声でちゅ。

「・・・本当に・・・ヨコチマでちゅか?」
「・・・・・・」

 わたちのかけた声に、ぴたりとその動きを止めるヨコチマ。

「・・・オマエ・・・本当にヨコチマでちゅか?」

 わたちの知ってるヨコチマはこんな嫌らしい笑い方はちまちぇん。こんないやな空気を持っていまちぇん。それになにより・・・

「ルシオラちゃんは・・・」

 ルシオラちゃんがもういないなんてこと、ヨコチマが一番知ってるはずでちゅ!


 

「・・・なんだ・・・・」

 身をかがめていたヨコチマ・・・ううん、『ヨコチマみたいなの』が立ち上がりまちた。

「・・・なぁんだ・・・」

 不気味な威圧感。知らないうちに後ずさる。

「・・・なぁんだ・・・なぁんだ・・・」

 ふらふらと歩き出す『ヨコチマみたいなの』。ほんの数メートルしか離れていないはずなのに・・・見えているはずなのに『よくわかりまちぇん』。

「・・・こんなとこにいたのか・・・ルシオラ」
「・・・ぇ!」

 いつの間にか現れていたもう一つの人影。

「ルシオラ・・・ちゃん・・・?」

 顔も姿も見えない。けれど死んだはずのルシオラちゃんが『いる』。そこに『いる』ということだけ理解できまちゅ。

「ならこれはもういらないな・・・パピリオ・・・これやるよ」


 

『ポスッ』



 肩越しに『ヨコチマみたいなの』が投げてよこしたボールみたいなの。反射的にそれを受け取って・・・。

「・・・・っえ・・・?」

 突風が吹く。一面の花畑は、いつの間にか全て枯れ果て・・・・


 

「・・・・・・・・・・・・・・・・いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」


 

 手の中にある『もの』を残して、ヨコチマもルシオラちゃんも消え果ててまちた。





 

(ベスパ)

「事の始まりは・・・2週間ほど前のことです・・・」

 小竜姫が重い口を開く。いっこうに泣きやまなかったパピリオは、さすがにまずいと思い、軽く麻痺をかけて気絶させた。

「突然、横島さんが訪ねてみえたんです・・・」

 小竜姫の話では、たった一人、着の身着のままでやって来たとおぼしきポチは、ひどく憔悴した様子だったという。

「・・・ルシオラさんが消えた・・・横島さんはそう言いました」
「えっ?」

 小竜姫に会うなり『ルシオラが消えた』と言ったというポチ。その言動はひどく曖昧で要領をえなかったらしいが、とにかくその尋常でない様子から、ただごとでないと判断したらしい。

「それでアタシが呼ばれたのねー」

 急遽呼び寄せられた神界調査官ヒャクメ。しかし・・・

「でも何も分からなかったのねー。どんなに詳しく調べてみても、横島さんは以前とどこも変わっていなかったのねー」

 姉さんと融合したと言っても良いポチ。その前例を見ない状況からあの事件直後に一度調べたらしいが、その時のデータと寸分違わぬ結果だったらしい。

「だからそう伝えたのねー。でも・・・」
「横島さんは、ただルシオラさんが消えたとしか言わなくて」
「だからアタシも気のせいだって言ったのねー」

 しかしどんなに二人が言おうとも、ポチは『姉さんが消えた』の一点張りだったらしい。

「ちょうどその後なんです。横島さんが修行してくれと頼んできたのは・・・」


 

 いったいポチの中でどういう思考がなされたのか、それは本人でなければ分からない。だがポチは妙神山で修行することを望んだらしい。


 

「私も断る理由はありませんでしたし、あの時の横島さん・・・今もですけど・・・はとても普通の状態ではなかったので、下手に放っておかない方がよいと思い、修行を了承したのですが・・・」

 修行に赴くポチは、まるで鬼気迫る様子だったという。どれほどきつい修行だろうと弱音など一切はかず、こちらが止めるまで自分をいじめ続けたらしい。

「きっと『強さ』を手に入れたいんだと・・・そう思いました。だから私もそれに答えようとしたのですが・・・でも違ったんです」
「あれは修行じゃない・・・ただ自分を傷つけてるだけだったのねー」


 

 修行という名をかたった、自傷行為。それは自分の身を傷つけ、あわよくば死のうとさえ思っているかのようだったらしい。

「だから私は止めたんです。そんなことをするなら修行などさせないと」


 

 そして次の日、1度目が起こった。


 

「ほんとうに見つけることが出来たのは僥倖でした・・・」

 修行をやめさせられた次の日。いつものように、妙神山の一番西にある崖から夕日を見ていたというポチが、ふらふらと夕日に向かって歩き出したかと思うと、そのまま崖から身を投げたらしい。


 

「本当に・・・本当に見つけることが出来たのは、たまたまでした。ほんの少し私が通るのが遅かったら・・・横島さんは・・・」

 身を震わせる小竜姫。

 結局、たまたま通りかかった小竜姫が気づき、『超加速』を使い、事なきを得たらしい。


 

「その時横島さん、言いました。『自然に身体が動いただけ。別に死のうとした訳じゃあない』と。その時の横島さんは、とても不安定だったので、本当にそうなのかもと思いました・・・でも・・・」


 

 しかしそれで終わらなかった。


 

「その3日後・・・やはり夕方でした・・・」
「今度は洗面所のカミソリで手首を切ったのねー・・・しかもちゃんとぬるま湯に手をつけながらだったのねー」


 

 言い逃れは出来ない。それは間違いなく、自分で自分の命を刈り取る行為だった。

「それほど傷は深くなかったし、すぐに小竜姫がヒーリングを施したので命に別状はなかったのねー」
「そして私達は横島さんを問いただしました。なぜこんな事をするのかと」


 

 そのとき言ったというポチのセリフ。それはアタシの耳に深く残り、そしてアタシにポチの中では・・・もしかしたらアタシの中でも・・・あの事件の傷跡は全く癒えていないと言うことを思い知らされた。

 ポチはこう言ったらしい。


 

『・・・いえ・・・ね、俺が生きててルシオラが死んでるのなら・・・もしかしたら俺が死ねばルシオラが生き返るんじゃないかと・・・思ったんすよ・・・』


 

 そんなわけはない。そんなことあるはずがない。それはどんなバカでも分かるようなこと。当然小竜姫もそう言ったらしいが。


 

『そんなの・・・やってみなくちゃ分かんないじゃないっすか・・・・やってみなくちゃ・・・やってみなくちゃわかんねえだろ!!』


 

 そう言いながら暴れたというポチ。小竜姫とパピリオで押さえつけ・・・いくらポチでも龍神と魔族の腕力にかなうはずがない・・・どうにかその時は納まったらしい。

「とにかく私達は横島さんの目にはいるところに、刃物を置かないようにしました」


 

 しかしその4日後・・・つまり今日・・・。


 

「うかつでした・・・横島さんは仮にも霊波刀使いだったのに・・・」

 下唇をかみしめる小竜姫。

「パピリオが気がついたときには、すでに手首を切り飛ばした後だったんです・・・」

 その言葉に先ほどの光景が目に浮かぶ。手首のない状態なのに、痛がる様子など全く見せず、ちいさく歌を紡ぐポチの姿が。


 

「そうか・・・」


 

 部屋の隅で、何枚かの座布団を敷き眠っているパピリオに目をやる。軽いとはいえ深麻痺状態のはずだから、夢すら見ていないはずだ。

 アタシの視線に気づいたのか、小竜姫が言う。

「ここに横島さんが来てから、ずっとパピリオは横島さんに付きっきりでした。もちろん始めはただ単にうれしそうにしていたんですが・・・」

 何かを感じていたのだろうか、あまりポチの側を離れようとしなかったというパピリオ。そして2度目の自殺以降に至っては、片時もヨコシマの側を離れようとしなかったらしい。それこそ風呂から寝るとき・・・果てはトイレの中までついて行こうとしていたという話だ。


 

「・・・・・・・」


 

 言葉にならない。

 パピリオがポチに懐いているのは前々から分かっていた。第一、もともとポチを始めに見つけ出したのは・・・まあどういう形だったにせよ・・・パピリオなのだ。その後の姉さんやアタシとのいざこざで有耶無耶になってしまっていたが、ある意味ポチのことを一番気に入っていたのはパピリオであることは間違いない。こんな事を言うと姉さんが反論しそうだけど・・・。


 

「パピ・・・・・・」


 

 身じろぎ一つしないパピリオ。まるで死んだようなその様子が、今のパピにとって唯一の安らぎのように見える。


 

 沈黙が流れる。


 

「なあ・・・しばらくの間、アタシもここに住まわせてもらえないか?以前ここを破壊したアタシが言うのも何だけど・・・」
「・・・私個人はかまいませんが、さすがに・・・」

 言葉を濁す小竜姫。当然の判断だろう。しかしアタシも譲るわけにはいかない。


 

「そこを押して、頼む・・・」


 

「・・・良いじゃろう」

 アタシが頭を下げようと思ったら、急に声が聞こえ周りを見回す。

 ふすまを開けて部屋に入ってきたのは、妙神山現最高責任者であり、神界屈指の武神『斉天大聖 孫悟空』だった。見た目はアレだが。

「老師!?神界の方へ行っていたはずでは?」
「だから用事が終わったから戻ってきたのじゃ。それはそうと、ベスパ・・・とか言ったか」
「は、はいっ!」

 姿勢を正す。さすがにこの武神の前で無礼なことをするわけにはいかない。

「神界、および魔界正規軍にはこちらから申請しておいたからの。代行者として・・・『魔界正規軍からの留学生として、ベスパ曹長に妙神山への無期限出向を命ずる』」

 突然のことに呆然となる。小竜姫やヒャクメもついていけていないようだ。


 

「どうしたベスパ曹長? 復唱は?」
「は、はっ! 無期限出向の命、確かに拝命いたしました!」
「ん、よかろう」

 にやりと笑う斉天大聖。

 何となく、今まで腑に落ちなかったものが一本の線につながったような気がした。つまりは、いま目の前で笑っている斉天大聖がいる・・・それが答えなのだろう。どういう意図があるにしろ、渡りに船だ。

「離れがあいておる。小僧と蝶の嬢ちゃんを手伝いにつける。そのほかはこの小竜姫の指示に従えばよい。よいな、小竜姫」
「は、はい・・・って老師、どういう事ですか!?」
「まったく、そんなこともわからんのか、この未熟者めが・・・」

 小竜姫を見ながら、ため息をつく斉天大聖。


 

「・・・当人たちの問題は、当人たちの手によって解決するに限る・・・つまりはそう言う事じゃ」


 

 目配せをする斉天大聖。自然と頭が下がる。


 

「ふっ、年寄りの冷や水じゃよ」


 

 パピリオが起きるのは、きっとまだ先だろう。


 

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